2017年10月09日
るものを見たくてたま
そこは狭い場所で、わたしはひとりきりだった。わたしがいるのは目にしみるような緑色の草の揺れるところで、片側には海があった。青く、明るく、ゆったりとうねる海は、薄靄《うすもや》のような水しぶきをあげ、わたしの胸をときめかせた。事実、水しぶきがあまりにも多いものだから、海と空が一つになっているという妙な印象を受けたものだ。諸天も海と同様に明るく青いからである。反対側には森があり、海そのものと同じくらい古くから存在し、果てしなく内陸部に広がっている。木々がグロテスクなまでに大きく太く、信じられないほど数多いので、森のなか
しかし一つの脅威は去ったにせよ、新たな脅威が迫ってきた。わたしのいる浮かぶ小島から着実に土が失われていくので、いずれ死は遠からぬことだった。しかしそのことがわかったときでさえ、死がわたしにとってもはや最期ではないように感じられた。ふたたび緑の草原に目をやれば、わたしの恐怖と不思議な対照をなす、奇妙な安心感をおぼえたからだ。
するうち果てしない遠くから、水の傾《なだ》れ落ちる音が聞こえた。わたしが知っている小さな滝の音ではなく、地中海の水が計り知れない深淵に流れ落ちるとすれば、遙か遠くのスキタイの地で聞こえるような音だった。しだいに小さくなりゆく小島は、この音のするほうに進んでいたのだが、わたしは満足していた。
遙か後方で、この世のものとも思えない恐ろしいことが起こっていた。わたしはふりかえってそれを目にし、わなわなと総身を震わせた。いかさま異様なことに、空に暗い靄めいたものがあらわれて、木々の上にわだかまり、揺れる緑の枝の挑発に応えているようだった。やがて海から濃い霧が昇り、空に浮かぶものにくわわって、岸が見えなくなってしまった。太陽――わたしの知っているものではない太陽――は、わたしを取り巻く海の上で明るく輝いているが、わたしが離れた陸地は凄まじい大嵐に襲われ、地獄めいた木々と木々に隠されているものの意志が、海と空の意志に粉砕されているようだった。そして霧が消えたとき、目にはいるのは青い空と海だけで、もはや陸地と木々の姿はなかった。
このときわたしの注意は緑の草原での歌声にひきつけられた。先にも述べたように、これまで人間の生活を示すものに出会ったことはなかったが、いまやわたしの耳には詠唱がぼんやりと聞こえ、その源と性質は歴然としてまちがいようのないものだった。言葉は理解のおよばないものだったにせよ、詠唱によってわたしの心に一連の特異な連想がひき起こされた。古代エチオピアの首都メロエのパピルスから採られたものを、かつてエジプトの書物から翻訳したことがあるが、そのどことなく不穏な文章を思いださせるものだった。思いだすさえ恐ろしい文章、地球がまだ若かった時代の生命形態や古ぶるしいものについて語る文章が、わたしの脳裡をよぎっていった。考え、動き、生きていながらも、神々にしても人間にしても生きているとはみなさなかったものについてのことだ。恐ろしい書物だった。
耳をかたむけていると、それまで潜在意識の段階でわたしを当惑させていた状況が、しだいにわかるようになってきた。これまで緑の草原には明確なものは何も目にとまらず、目にしみる青草が均一に広がっているという印象が、わたしの知覚したもののすべてだった。しかしいまや、流れがわたしのいる小島を緑の草原のすぐ近くへと運んでいることがわかり、緑の草原やそこで歌っているもののことが、あるいはわかるようになるやもしれなかった。好奇心がつのるまま、歌っていらなかったが、この気持ちには不安もまじりあっていた。
わたしを運ぶごく小さな島がなおも土を失いつつあったが、わたしはこの損失を気にもとめなかった。わたしが所有しているように思える肉体(あるいは肉体の見かけをとるもの)とともに、自分が死ぬわけではないように思えたからだ。わたしのまわりにあるものはすべて、生や死さえもが、幻影にほかならなかった。わたしは死の定めや肉体を有する生物の領域を超越し、何ものにもとらわれない自由な存在になっている。ほぼ確信に近い、そんな印象を受けていた。自分がどこにいるのかはわからず、かつて馴染み深いものであった地球上ではありえないと思うばかりだった。はらいきれない恐怖とは別に、わたしの胸を占めていた感情は、つきせぬ発見の航海に乗りだしたばかりの旅人がいだくようなものだった。ほんのつかのま、わたしはあとにしてきた土地や人のことを考えた。二度ともどれないやもしれないが、いつの日かこの冒険を知らせる方法について思いをめぐらした。
いまでは緑の草原のすぐ近くを漂っているので、声がはっきり聞こえはしたが、多数の言語に通じているというのに、歌われる言葉がまったく解せなかった。はるか遠くにいたとき漠然と感じとっていたように、まさしく聞きおぼえのあるものなのだが、畏怖す
しかし一つの脅威は去ったにせよ、新たな脅威が迫ってきた。わたしのいる浮かぶ小島から着実に土が失われていくので、いずれ死は遠からぬことだった。しかしそのことがわかったときでさえ、死がわたしにとってもはや最期ではないように感じられた。ふたたび緑の草原に目をやれば、わたしの恐怖と不思議な対照をなす、奇妙な安心感をおぼえたからだ。
するうち果てしない遠くから、水の傾《なだ》れ落ちる音が聞こえた。わたしが知っている小さな滝の音ではなく、地中海の水が計り知れない深淵に流れ落ちるとすれば、遙か遠くのスキタイの地で聞こえるような音だった。しだいに小さくなりゆく小島は、この音のするほうに進んでいたのだが、わたしは満足していた。
遙か後方で、この世のものとも思えない恐ろしいことが起こっていた。わたしはふりかえってそれを目にし、わなわなと総身を震わせた。いかさま異様なことに、空に暗い靄めいたものがあらわれて、木々の上にわだかまり、揺れる緑の枝の挑発に応えているようだった。やがて海から濃い霧が昇り、空に浮かぶものにくわわって、岸が見えなくなってしまった。太陽――わたしの知っているものではない太陽――は、わたしを取り巻く海の上で明るく輝いているが、わたしが離れた陸地は凄まじい大嵐に襲われ、地獄めいた木々と木々に隠されているものの意志が、海と空の意志に粉砕されているようだった。そして霧が消えたとき、目にはいるのは青い空と海だけで、もはや陸地と木々の姿はなかった。
このときわたしの注意は緑の草原での歌声にひきつけられた。先にも述べたように、これまで人間の生活を示すものに出会ったことはなかったが、いまやわたしの耳には詠唱がぼんやりと聞こえ、その源と性質は歴然としてまちがいようのないものだった。言葉は理解のおよばないものだったにせよ、詠唱によってわたしの心に一連の特異な連想がひき起こされた。古代エチオピアの首都メロエのパピルスから採られたものを、かつてエジプトの書物から翻訳したことがあるが、そのどことなく不穏な文章を思いださせるものだった。思いだすさえ恐ろしい文章、地球がまだ若かった時代の生命形態や古ぶるしいものについて語る文章が、わたしの脳裡をよぎっていった。考え、動き、生きていながらも、神々にしても人間にしても生きているとはみなさなかったものについてのことだ。恐ろしい書物だった。
耳をかたむけていると、それまで潜在意識の段階でわたしを当惑させていた状況が、しだいにわかるようになってきた。これまで緑の草原には明確なものは何も目にとまらず、目にしみる青草が均一に広がっているという印象が、わたしの知覚したもののすべてだった。しかしいまや、流れがわたしのいる小島を緑の草原のすぐ近くへと運んでいることがわかり、緑の草原やそこで歌っているもののことが、あるいはわかるようになるやもしれなかった。好奇心がつのるまま、歌っていらなかったが、この気持ちには不安もまじりあっていた。
わたしを運ぶごく小さな島がなおも土を失いつつあったが、わたしはこの損失を気にもとめなかった。わたしが所有しているように思える肉体(あるいは肉体の見かけをとるもの)とともに、自分が死ぬわけではないように思えたからだ。わたしのまわりにあるものはすべて、生や死さえもが、幻影にほかならなかった。わたしは死の定めや肉体を有する生物の領域を超越し、何ものにもとらわれない自由な存在になっている。ほぼ確信に近い、そんな印象を受けていた。自分がどこにいるのかはわからず、かつて馴染み深いものであった地球上ではありえないと思うばかりだった。はらいきれない恐怖とは別に、わたしの胸を占めていた感情は、つきせぬ発見の航海に乗りだしたばかりの旅人がいだくようなものだった。ほんのつかのま、わたしはあとにしてきた土地や人のことを考えた。二度ともどれないやもしれないが、いつの日かこの冒険を知らせる方法について思いをめぐらした。
いまでは緑の草原のすぐ近くを漂っているので、声がはっきり聞こえはしたが、多数の言語に通じているというのに、歌われる言葉がまったく解せなかった。はるか遠くにいたとき漠然と感じとっていたように、まさしく聞きおぼえのあるものなのだが、畏怖す
Posted by noisy at 12:07│Comments(0)