2017年06月15日

く知れ渡り


がめこみ、祖父の老ウェイトリイも、静まりかえった長い午後じゅうを費して、孫にあれこれ教えこんだり、さまざまな問いかけをしては孫の知識を確かめたりしたものだ。この頃には家の修復がおわっていて、出来栄えをながめた者たちは、二階の窓が一つだけ、どうして堅材をつかった扉にかえられたのかと、不思議に思った。それは東の切妻の裏に設けられていた窓で、山の斜面にせまっているため、いかなる理由で地面からそこまで、滑りどめつきの木製の傾斜路が備えられたのかは、まったく想像もつかなかった。修復作業が完了する頃になると、ウィルバーの誕生以来、厳重に鍵をかけられ窓もすべて板ばりにされていた古い道具小屋が、またないがしろにされていることが気づかれた。扉が鈍重に開いて揺れており、アール・ソーヤーが一度、老ウェイトリイに牛を売りにきたあとでなかに入りこんだとき、独特の悪臭をかいで、ひどくとりみだしてしまったという――アール・ソーヤーはこのことを話して、ああいう悪臭は山頂にあるインディアンの環状列石の近く以外でかいだこ航天科技とがなく、健全なものやこの世のものから発するわけがないと断言したものだ。しかし当時は、ダニッチの住民の家屋や小屋が、およそ臭気の点で申し分のないものだったわけではない。
 つづく数ヵ月のあいだは、目にたつ出来事は何もなかったものの、ただ謎めいた山鳴りが、ゆるやかとはいえ着実に高まっていることを、誰もが口をそろえて認めていた。一九一五年の五月祭の前夜には、アイルズベリイの住民さえ感じるほどの地鳴りが何度もおこり、さらに万聖節の前夜には、センティネル丘の頂上から――「ウェイトリイの連中の仕業だ」とされる――火炎があがるとともに、妙に火炎の動きに同調して地鳴りがおこったのだった。ウィルバーは気味悪いまでに生育していて、四歳になったときには十歳の少年のように見えたほどだった。その頃には自分一人で貪欲《どんよく》に書物を読みふけっていたが、以前にもまして口数が少なくなっていた。むっつりと黙りこくるばかりで、山羊《やぎ》を思わせるその顔に邪悪な表情が宿っていると、そんなことを人びとがいいだしたのも、この頃のことである。ときとして耳慣れない不可解な言葉をつぶやいたり、聞く者をいいようもない恐怖におとしこむ異様な調子で、何事かを唱えたりすることがよくあった。犬に毛嫌いされていることは既に広、ウィルバーは近郊を無事に歩くために拳銃を携行しなければならないほどだった。こんな武器をときおり使うものだから、番犬を飼っている者たちのあいだでは、ことにウィルバーのうけがよくなかった。
 家にときたま訪れるわずかな者は、ラヴィニアが一階に一人きりでいる一方、窓が板でふさがれた二階で叫び声や足音がひびくことによく気がついた。ラヴィニアは父親と息子が二階でしていることについて話したことはないが、一度など、おどけ者の魚売りが階段に通じる閉ざされた扉を開けようとしたときには、顔色も青ざめ、異常なまでにおびえたことがある。その魚売りがダニッチ村の雑貨店にたむろする連中に告げたところによると、二階の床を馬が踏み鳴らしでもしているような音がしたという。その話を聞かされた連中は、扉と傾斜路のことや、牛がたちまち消えてしまうことに思いをはせ、深く考えこんだあげく、老ウェイトリイの若い頃の噂や、しかるべきときに若い牡牛《おうし》を異教の神々に生贄《いけにえ》として捧げると、大地から奇怪なものが呼びだされるという話を思いだし、わなわなと身を震わせてしまっ  


Posted by noisy at 12:15Comments(0)